名勝 おくのほそ道の風景地 湯尾峠

最終更新日:2023年12月4日 ページ番号:10373

名勝 おくのほそ道の風景地 湯尾峠

概要

名称

おくのほそ道の風景地 湯尾峠

所在地

福井県南条郡南越前町湯尾121字1番ほか11筆

面積

16,302.30平方メートル

名勝指定

令和3年10月11日

湯尾峠について

特徴

湯尾峠は、旧北陸道の要地として古来より栄えました。天正6(1578)年、北ノ庄城主であった柴田勝家によって、それまでの峠の西側に整備されました。

八ヶ所山と三ヶ所山に挟まれた鞍部に位置し、標高約200メートル、湯尾の集落との標高差はおよそ100メートルあります。頂上の平場には孫嫡子神社や4軒のお茶屋があり、孫嫡子神社は疱瘡(天然痘)除けにご利益があるとされ茶屋でお守りの札が配られていました。この4軒のお茶屋やお守りのことは、貞享2(1685)年に福井藩によってまとめられた『越前地理指南』に記載されています。その他、享和3(1803)年に刊行された『二十四輩順拝図会』(巻之二、越前加賀)の挿図に湯尾峠を往来する人や茶屋の様子が描かれています。

明治時代に入ると湯尾峠の周辺の状況は大きく変化することになります。明治25(1892)年三ヶ所山の麓を迂回する新道が造られ、明治29(1896)年には鉄道が開通します。峠を経由していた人や物資の流れが変化し、茶屋を営んでいた人々はそのころに山を下りたといいます。明治末期には孫嫡子神社や八幡宮等の合計4社が併合され、湯尾の集落の外れに湯尾神社が建てられました。孫嫡子神社に関しては現在、その祠が湯尾峠の頂上の平場の端部の少し高いところにあります。平成に入ってから再建されました。

湯尾峠へは歩いて上ることができます。湯尾の集落から峠へ続く道へ入り、山の中をしばらく歩くと石段が見えてきます。その石段を上がったところで道が大きく折れ曲がり石垣が見えるので、石垣に沿って上ると頂上の平場に出ます。現在平場には茶屋の建物はなく、『おくのほそ道』の作者・松尾芭蕉が湯尾峠について詠んだ「月に名をつゝミ兼てやいもの神」の句碑が建立されています。

松尾芭蕉と湯尾峠

湯尾峠には、『おくのほそ道』の作者である松尾芭蕉も訪れました。現在もその当時の風景をよく残しています。

元禄2(1689)年3月末、松尾芭蕉と弟子の河合曾良は『おくのほそ道』の旅に出ました。7月13日には越中国に到達し、後加賀を経て福井に入った芭蕉は、「名月はつるがのみなとに」て観賞したいと敦賀を目指すことになります。福井を出発後は北陸道を南へ進み、「あさむづの橋」「鶯の関」を過ぎて「湯尾峠」を越えて、「燧が城」経て、仲秋の名月の前日である8月14日に敦賀に到達しました。湯尾峠の頂上には現在、芭蕉が詠んだ「「月に名をつゝミ兼てやいもの神」の句碑があります。この句は『おくのほそ道』には載せられていませんが、芭蕉が大垣に到着した後、大垣の門人による写「芭蕉翁月一夜十五句(ばしょうおうつきいちやじゅうごく)」(『荊口句帖(けいこうくちょう)』所収)の中にあります。

令和3年、湯尾峠は名勝「おくのほそ道の風景地」に追加指定されました。県内では「けいの明神(気比神宮境内)」(平成28年指定)に次ぐ2例目となります。

湯尾峠頂上からの景色湯尾峠頂上の景色

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